Ettore Sottsass エットレ・ソットサス
1917 - 2007 | イタリア
建築家・デザイナー
BIOGRAPHY
イタリアを代表する建築家・インダストリアルデザイナー。
ポストモダン運動を提唱した伝説的グループ「メンフィス」の創設者であり、同じくイタリアの巨匠ジオ・ポンティーらと共に戦後の復興を支え、タイプライターなどのプロダクトデザイン・内装デザインなど、その活躍は多岐にわたります。
1958年よりオリベッティ社とフリーランス契約を結び、電子機器やオフィス家具のデザインを手がけると、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久コレクションにも選定されたタイプライター「ヴァレンタイン」などの名作を次々と発表しました。
オリベッティ社との共同作業は40年に渡り、ついには入社を懇願されますが、ソットサスは逆にデザインスタジオを設立するよう持ちかけます。スタジオのマネジメントはオリベッティ社が行い、デザイナーはフリーランスで仕事をする。デザイナーにとって自身のアイデアを最大限生かせる環境は、有能な若手を多く輩出するきっかけとなりました。
以後イタリアでは、これが一つのワークスタイルとなり、働く環境においても改革を起こします。こうして誕生したスタジオには日本の梅田正徳や美術家のタイガー立石などが所属していました。
1980年には、マルコ・ザニーニら若手デザイナーと「ソットサス・アソシエイツ」というデザインスタジオを設立。
家具のデザインから、建築にいたるまで多岐に渡るプロジェクトを担当し、1994-98年にはレンゾ・ピアノ設計のマルペンサ国際空港にて内装デザインを手掛け、ソットサス・アソシエイツを代表するプロジェクトとなりました。
1981年に国際的なデザイン集団「メンフィス」を結成。1985年には建築に専念したいという理由からメンフィスを脱退しますが、その後も個人邸の設計から内装デザインなど、晩年に渡るまで活躍は続きました。
BIOGRAPHY
1917年 | オーストリアのインスブルックで生まれる。父はオーストリアの近代建築の重鎮オットー・ワーグナーに師事した著名な建築家。父の仕事に伴いトリノへ移住。 |
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1939年 | トリノ工科大学の建築学科を卒業。その後6年間イタリア軍に従事し戦禍を過ごす。 |
1947年 | ミラノで自身のデザイン事務所を設立。初期は父親とともに仕事を行い、家具のデザインなどを担当。 |
1948年 | イタリアの抽象芸術を推進する目的で結成された前衛芸術集団MAC(コンクリートアート運動) に参加。ブルーノ・ムナーリやジョエ・コロンボらも参加し、主要メンバーとして活躍。 |
1956年 | ニューヨークに移り、ジョージ・ネルソンのスタジオに短期勤務。 |
1957年 | イタリアに戻り、フィレンツェに本拠を置く家具メーカーPoltronova(ポルトロノヴァ)のアートディレクターに就任。 |
1958年 | イタリアを代表するメーカー、オリベッティ社とデザイン・コンサルタント契約を結ぶ。翌年には大型コンピュータELEA 9003(エレア9003)で自身初となるコンパッソ・ドーロ賞を受賞。以後30年にわたって協働が続きます。 |
1961年 | 旅行で南インドのタミル・ナードゥ州を訪れ、その地方の伝統的で色鮮やかな建築物に魅了されます。その後大病を患いアメリカに滞在。その際に、前衛的な文学運動として世界中に影響を与えたビート・ジェネレーションの詩人らと交流を深める。この2つの出来事が以後ソットサスのデザインに大きな影響を与えています。 |
1969年 | オリベッティ社より、鮮やかなレッドの色調が美しいタイプライター「ヴァレンタイン」を発表。ソットサスの代表的なプロダクトとも言えるこちらは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のパーマネントコレクションにも認定されています。 |
1973-1975年 | ラディカル集団「グローバル・トゥールズ」のメンバーとして活躍。インテリア雑誌「カサベラ」の編集室に若手建築家らが集い、今までのデザインを否定した理論とパフォーマンス活動を行う。メンバーにアレッサンドロ・メンディーニ、アンドレア・ブランジ、アドルフォ・ナタリーニなどが参加。 |
1977-1989年 | ラディカル集団「スタジオ・アルキミア」のメンバーとして活躍。アレッサンドロ・メンディーニなどを中心に結成。工業的でミニマルな機能的主義を否定するアイロニーを込めた展示会を実施。1981年にはデザイン・リサーチへの革新的なアプローチが評価され、コンパッソ・ドーロ賞を受賞。 |
1980年 | 建築家マルコ・ザニーニらとデザインスタジオ「ソットサス・アソシエイツ」を設立。1980年代は家具デザイン、1990年代には建築・グラフィクなどを中心に活動。代表作品に、レンゾ・ピアノが設計したマルペンサ空港の内装デザインなどが挙げられます。 |
1981-1988年 | 「メンフィス」結成。アンドレア・ブランジ、ミケーレ・デ・ルッキ、倉俣史朗など錚々たるメンバーが集結。デザインに対する広いアプローチの可能性を探求し、ラミネート板などの新素材の着目や、色彩豊かなカラーリングを通して大胆に表現。 インテリアの既成概念を根本から作り直し、世界中に強烈なインパクトを与えました。 |