物語の始まりは、助け合いと支え合いの精神から。
長男である Biagio(ビアジオ)は11歳頃から父親をサポートするため、学校へ通いながら床屋で店番を始めます。その後 Tarcisio(タルシチオ)や Umberto(ウンベルト)もそれに続きます。MARIANI 一家にとって、仕事とは努力することであり、床屋や大工など労働が必要であればそこへ手助けをしに行くのは自然なことでした。
Biagio(ビアジオ)は床屋で働きながら、籠、枝編み細工やリードチェア(葦で編み上げた椅子)の職人として技術を磨きました。Tarcisio(タルシチオ)働き者で、床屋で働きながら小さな職人が集まる会社で家具の布張りを担当しました。
※写真は幼い頃の兄弟たちと、当時彼らが暮らしたブリアンツァ地方の街並み。
50年代イタリア、産業化の流れの中で。
1950年を皮切りにイタリアは農耕から産業社会へ、社会的、経済的に近代化していきます。特にブリアンツァ地方は、イタリアで初めて実業家組合ができ、イタリアで2番目の鉄道システムの拠点となるなど、先進的な出来事が起こる場所でした。
その高い生産性から、ブリアンツァで生産されるプロダクトは世界中で高い評価を受けます。そんなイタリアを代表する土地で今に続く 4 MARIANI の人々には、粘り強く、夢を叶えるためにどんな犠牲も厭わない精神が宿っています。
家具が繋いだ4人の兄弟の絆は、やがて未来へと続く礎へ。
MARIANI の4兄弟が大人になる頃、Biagio(ビアジオ)はペルチカートの小さな店で家具の布張り職人として、Umberto(ウンベルト)は大工の弟子として仕事を続けていました。
Tarcisio(タルシチオ)は家具製作の会社で働いた後、やがて一人ビジネスを始めることになります。1957年に彼が創業した最初の会社は、現在の 4 MARIANI へと続くコアを持つものでした。
店の規模は30平米と小さいながら、後に兄弟たちも合流し、共に朝から晩まで働くようになります。布張り職人としてのスキルを生かしながら、アームチェアやソファをメインに製品を作り、その小さな店は街の人々からの評判を得ていきます。
性質の異なる4人の化学反応は、来るべきブランドの発展へと繋がっていく
長男の Biagio(ビアジオ)は喋りに長け、兄弟間のバランスを取り持ちます。Tarcisio(タルシチオ)は大胆で起業家精神に富みました。Umberto(ウンベルト)は素直で協力的、Emilio(エミリオ)社交的で人を笑わせることが好きでクリエイティブでした。
この4兄弟の素晴らしい化学反応と勤勉さにより、製品数は増え、売上も右肩上がりとなりました。創業期は、他の会社の製品の布張りを請け負うなど代理業としての一面もありました。その後、新たに従業員を受け入れ、展示会のカタログに載るようなリビングルームのインテリアも手がけるようになります。
「がむしゃらに働くこと」当時の熱意とインスピレーションに満ちたデビューについて4兄弟はこう振り返っています。