1 | 明治から現代まで、時代を紡いできたフジエテキスタイルの原点。
フジエテキスタイルは、カーテンやクッションなどのインテリアファブリックを中心とした、日本を代表するテキスタイルメーカー。
創業は遡ること140年前の1885年、冨士榮今市によって京都西陣で織物製造業を興したことから始まります。戦争による一時廃業を経て、戦後ほどなく東京に拠点を移し生地の卸売業として再興。1953年に社名を「フジエ織物」へ。
フジエテキスタイルは、カーテンやクッションなどのインテリアファブリックを中心とした、日本を代表するテキスタイルメーカー。
創業は遡ること140年前の1885年、冨士榮今市によって京都西陣で織物製造業を興したことから始まります。戦争による一時廃業を経て、戦後ほどなく東京に拠点を移し生地の卸売業として再興。1953年に社名を「フジエ織物」へ。
初代の意思を引き継いだ2代目・冨士榮良治は、自らの審美眼にかなう上質の生地を提供することにこだわり、自身で企画を手がけ、糸屋や機屋、染屋をまわって独自の生地づくりに取り組みました。上質の追求、他にはないものづくり。今につながるフジエテキスタイルの原点がここにあります。
1963年にテキスタイルデザイナー粟辻博が、自身初となる個展「粟辻博=オリジナル〈カーテン〉」を開催。
そこに訪れた冨士榮良治は初対面の粟辻氏と、テキスタイルデザインへの強い思いと高い志で意気投合します。以来パートナーとして共に商品開発をスタートさせ、テキスタイルデザインの新境地を拓くコラボレーションが誕生したのです。
「デザイン」という概念がまだ浸透していなかった時代に、数々の試行錯誤を重ねながら打ち出した斬新なコレクションは、インテリアテキスタイル業界においてデザイナーを起用したものづくりの先駆けとして注目を浴び、フジエの名が広く知られるきっかけになりました。
日本を代表するグラフィックデザイナー田中一光が、1968年にフジエテキスタイルのロゴタイプをデザイン。田中が原稿用紙を塗りつぶす過程で考案した独自の書体は、規則的に統一されたストライプの流れが美しく、フジエテキスタイルを象徴する確かなシンボルとなっています
1971年には社名を現在の「フジエテキスタイル」に変更し、翌年には田中一光、粟辻博、インテリアデザイナーの北原進がサインデザインを手掛けた「フジエビル」が設立。建物自体がシンボルとなり、テキスタイルの近代化を示唆する象徴的なランドマークとなりました。
また、社内には創造的な表現のために開かれた空間「ギャラリーフジエ」を併設。フジエテキスタイルの組織図からは完全に切り離され、田中、粟辻、北原、黒田征太郎(イラストレーター)、小池和子(ファッションディレクター)の5人のメンバーによって運営されました。
造形を中心とするさまざまなジャンルの発表の場となり、デザインの発展に大きく貢献しました。
1973年に田中一光がネーミング・ロゴタイプを手掛けたブランド「Hearatart(ハートアート)」。 「心にアートを」というデザインに対する真摯な思いが込められ、現在は粟辻博が1960年代から1980年代にかけて発表したデザインを現代に復刻し、「Hearatart」のコレクションとして展開されています。
そのデザインはアメリカのフィラデルフィア美術館のパーマネントコレクションとして収蔵されるなど、海外からも高い評価を得ています。