3|70年にわたり本質を追求し、革新的な輝きを宿す。
1980年代後半から1990年代初頭にかけて小売業の大規模化が進むと、都市部や郊外の景観は様変わりします。
時代の流れに乗るように Elio Martinelli(エリオ・マルティネリ)は、グランドホテル、ブティック、公共スペース、大型ショッピングセンター向けの照明を次々と考案します。それは、ショッピング中の経路を示す道標としてだけでなく、光を通して訪問者に寄り添う感情的な役割も担っていました。
1980年代後半から1990年代初頭にかけて小売業の大規模化が進むと、都市部や郊外の景観は様変わりします。
時代の流れに乗るように Elio Martinelli(エリオ・マルティネリ)は、グランドホテル、ブティック、公共スペース、大型ショッピングセンター向けの照明を次々と考案します。それは、ショッピング中の経路を示す道標としてだけでなく、光を通して訪問者に寄り添う感情的な役割も担っていました。
もともと Elio(エリオ) はデザイナー志望ではありませんが、デザインの仕事は好んで請け負っていました。
家族の姓である “M” と彼の父親の名前である Plinio から取った “P” の2文字を組み合わせて作った Martinelli Luce 初期のブランドロゴは彼自身が制作したものです。
企業の統一されたイメージの重要性を理解していた Elio は、Martinelli Luce 社を市場に広めるあらゆるツールにこのロゴを採用しました。
ルッカの歴史的中心部に位置する Martinelli Luce のショールームは照明の店舗であると同時に、建築家やデザイナー同士を結びつけるクリエイティブなシェアスペースとしても機能します。
過去には、製品や展示会のプレビュー、企業イベントを開催するスペースとして利用されました。
Martinelli Luce 本社もルッカにあり、 Elio(エリオ)が設計し、1970年に建設されました。 製造部門とオフィスの両方が入っており、建築、デザイン、セッティング、塗装など、さまざまな専門性が集約された「ワークショップ」としての一面を持ちます。
共有スペースは本棚で区切られ、簡単に絵を描くことができる大きな机の設置、イタリアを代表するデザイン誌 “Domus”、“Casabella”、“Abitare” のコレクションを保管する等、随所に趣を感じることができます。
「場所と行動の完璧なマッチングこそが、そこで働く人々に深い充足感をもたらす」という彼の信念を反映した空間です。Elio にとって会社の設計は挑戦的な仕事内容でしたが、舞台美術、グラフィックデザイン、絵画など、過去の経験から得た知識を総動員してプロジェクトに臨みました。
Elio(エリオ)は人とコラボレーションすることを好み、プランナーやジャーナリストなど同業以外の友人も数多くいました。
ルッカの田舎チチアナにある自宅で妻や娘、仲間たちと食卓を囲み、丘の上からルッカのパノラマを眺めながら照明について語り合いました。彼の生涯の伴侶である Anna(アンナ)は、多くの作品のインスピレーション源になっています。
例えば、Gae Aulenti(ガエ・アウレンティ)がデザインした製法が特殊で難しい “Pipistrello(ピピストレッロ)” は「作ってみて!綺麗よ!」という彼女の一押しで商品化へと至ります。
特別な勉強をしなくても彼女は絵を描くことを楽しみ、刺繍、裁縫、折り紙、プリーツ生地と紙でランプシェードを作るのに長けており、Elio に自分のアイディアを控えめに提案することもありました。
本能的で短気な Elio と陽気で思慮深い Anna、二人の性格は異なりますが常に隣同士、全てを共有しながら共生関係を築いてきました。
イタリア国内で少なくとも50年以上、製造、販売、提供されてきた商品につく商標である “Marchio Storico(歴史的商標)” を2023年に獲得し、Martinelli Luce社はイタリアの歴史的企業として認められました。
ルーツであるトスカーナにしっかり根ざしながら、ブランドのアイデンティティ、哲学、専門知識、そして世界中に広めたメイド・イン・イタリアの誇りに忠実であり続けた証です。一過性の流行や販売戦略に流されることなく、厳格さを保ち、デザインの世界に対して明確なビジョンを提示し続けた結果でもあります。
2004年に Elio(エリオ)が亡くなって以降、娘の Emiliana(エミリアナ)とその息子 Marco(マルコ)が会社を率いています。
「デザイナーには責任があり、世界に変化をもたらす能力がある」という Elio の思いを受け継ぎながら、フォーマルで技術力の高い新要素を導入し続けることで、イタリア照明業界内での地位を確固たるものにしています。